東京ダイナマイトが2004年のM-1グランプリで持ってきた刀、あれは「ナイツ」と呼ばれ、人々から恐れられた妖刀であった。
妖刀「ナイツ」は使用者に幻覚を見せ、使用者が死ぬまでその幻覚を斬らせ続ける。しかし、10年に1人くらいいる適合者はこの「ナイツ」を完全に使いこなし、刀が持つ本当の力を引き出すことができるとされていた。ゴマキと同じくらいの確率で適合者が現れるならいけるだろうと、これまで幾人もの剣士がその魅力に惹きつけられ、「ナイツ」を制御しようと試みた。我こそがと名乗りを上げるものは大勢いたが、やはり「ナイツ」を使いこなせる者は誰一人としていなかった。どれほど腕の立つ者でも、最後は発狂して命を落とした。
そのうち「ナイツ」は、人びとに遠ざけられ、災いをもたらす厄介なものとして扱われるようになった。剣豪として知られた宮本武蔵も「ナイツ」を恐れ、元から持ってた2本の刀で器用に挟んでポイした。また、そういうの好きそうな織田信長ですら、「ナイツ」に関してはガン無視したとされている。
時代は変わり、2004年。誰もが恐れた妖刀「ナイツ」を東京ダイナマイトの松田は易々と掴み、M1の大舞台で客席に掲げた。そして「ナイツ」を持ってきたことを高らかと宣言した。「刀持ってきたぞーぃ」と。
俺が刀を、妖刀「ナイツ」を制御し、ここまで持ってきたんだぞと。
「ナイツ」は松田のものとなり、その真価を発揮すると思われた。しかし、松田はなんとせっかく自分のものにした「ナイツ」をあろうことか舞台上に置き、漫才を始めたのである。
松田は「ナイツ」の所有権を放棄した。
見ている人はただ、M1に刀を持ってきて、置いただけだ、単純にそういう掴みだと思っただろう。しかしこれは松田自身の命を懸けた渾身の「掴み」であった。観ているほとんどの人にはそんなことは伝わらなかっただろう。あと普通に刀を持ってきて、普通の漫才を始めたことで若干混乱はしていただろう。
こうして行き場を失った「ナイツ」は暴走するかと思われた。
しかし放置された後、ちょうど松田が「塗り絵です」と言った瞬間、なんと妖刀は2人の人間の姿へと形を変えた。一瞬のことであったため、その姿が変わる瞬間を誰も捉えることはできなかったが、確かに変わったのである。
「ナイツ」はM1の舞台上に放置されることによって、漫才師の魂を受け継ぎ、進化したのである。
これが塙と土屋による漫才コンビ「ナイツ」、誕生の瞬間である。
そして4年後の2008年、妖刀「ナイツ」は漫才コンビ「ナイツ」に姿を変え、
再びM1グランプリ決勝の舞台に立つこととなるのであった。